進行では、そろそろ終了の時間が近づいてきましたので、最後に皆さん、これからの運用に期待すること。岡山天体物理観測所が日本の天文学に対して果たした役割みたいなところを踏まえてお話しいただければと思います。
前原果たした役割についてもある程度話の中にも出てきていると思いますから、その中から選び出してもらえばいいわけですけれどもね。先ほど言ったこととまたダブりますけれどもね。でも、天文学者を育てたとか、天文学のああいう技術……と言うと言い過ぎだな。学問をどう進めるかということを、ここの望遠鏡があって、ここで観測していて、得た人は非常に多い。私ぐらいの年代の人間は、ここがあったから研究者としてやっていられるという。そういう人たちが第一世代としてできたのは大きいと思うな。もうみんなこうやって定年になってしまっているけれども。
沖田戦後10年で。
前原戦後のそんな時代に天文学がそれだけできたというのは、岡山の存在抜きにしては考えられないな。
沖田幸いにして、岡山は晴れの国とよく言うけれども、確かにここだけ晴れることが結構あるのだね。広島県、雨、兵庫県、雨、でも、ここだけ晴れている。そういうものはまざまざと感じましたよね。選んだ場所も結果的には成功したのだろうなと思うし、そういうところにつくったことによって多くの人たちが、本当に天文学者が育っていったという。私は「すばる望遠鏡」をつくりに行きましたけれども、「すばる望遠鏡」で育った人たちがまた次のことをちゃんとやってくれる、そうやって歴史が変わっていくのだなと思う。本当にいいところで一生の仕事をさせてもらったというのが私の感想ですね。
前原締めは現役の所長にやってもらえれば。
泉浦これからも、やはり国内の観測拠点というのはどうしても1つはないといけないと思うのです。たくさんあればより良いです。最近、大学の望遠鏡が増えてきたから全体で見れば観測機会は増えたと思いますけれども、でも、もっぱら共同利用していて、いろいろな人たちに観測の機会を提供できる場所が国内に1つはないと、というのはいつも思っています。そういう意味では、これから3.8メートル望遠鏡をきっちり立ち上げて共同利用というものを続けていく。それが当面の目標ですね。それと同時に、今まで培ってきた資産が幾つかあるので、そちらは専門の最先端を切り開くような、切れ味のよいサイエンスをやるための実験用の施設として使っていく。それでトータルとしておもしろいことをやっているし、共同利用観測もしっかりやっているという、いろいろな研究施設のある区域というか、研究集落、そういう場所として発展していけると良いのではないかなと思っています。
前原余裕が出てきたら。早々は出てこないかも。
沖田余裕など出てこないよ。
前原ちょっと待って。余裕が出てきたらと言うと言い方が悪いかもしれないけれども、私は市民でしょう。その視点で見ると、観望会は、それはそれでいい。だけれども、もう少し教育のほうに軸足を出してもらうといいのだけれどもな。
沖田それこそ本当に余裕ができてからだ。
進行最後に、皆さんから一言ずつ岡山天体物理観測所がどういうものかというのをいただいて終わりにしたいと思います。
沖田悔いのある一生を過ごしたとは思えない。
泉浦余りポジティブではないですね。
沖田物すごくすばらしい一生、まだ先、もう少し生きるから一生と言ってはいけないかもしれないけれども、これまでが物すごくすばらしかったとはとても言えないが、とても嫌だったとは言ってはいけないというぐらいですね。好きなことをさせてもらいましたという意味合いでね。
進行ありがとうございます。では、前原さん。
前原私。一言と言われたけれども、一言でまとまらないかもしれない。要するに私はここが仕事場だったわけ。普通の人がどういう仕事場でやっているかわからないけれども、私にとっては、単純に働いてお金を稼ぐというだけではなくて、自分がこういうものが好きだからやっていて、かなり自分自身にも得るものがあった、そういう場所ですね。いろいろなものを得ました。
進行では、所長、最後に。
泉浦どういう場所だったか。個人的にはアウトサイダーの実験場ですかね。
前原もう少し言って。どういう意味か。私にわかるように言ってくれると。
泉浦保守本流に何となく乗れない人間が自分の力を試す場ですか。そういう感じ。
前原まだわからないけれども、そういう難しい話ね。
沖田もう2~3回、試す時間がありますよ。
泉浦とりあえず頑張ってみようかなという場所ですね。
進行興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。みなさん、長時間ありがとうございました。