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百寿を迎えた大赤道儀室
現在、「天文台歴史館」として国立天文台の歴史や天体望遠鏡の歴史の展示室となっている建物は、三鷹キャンパスで最大の直径15メートルのドームを持つ「大赤道儀室」として、1926年(大正15年)に建設されました。それから100年がたち、天文台歴史館と名を改めた大赤道儀室は、百寿を迎えました。
三鷹キャンパスの中で、すでに100年を超えた建物は、第一赤道儀室(1921年建設)、ゴーチェ子午環室(1924年建設)、レプソルド子午儀室(1925年建設)があります。また、4年後の2030年には太陽塔望遠鏡と旧図書庫が百寿を迎えます。国立天文台(当時は東京天文台)の三鷹への移転が完了した年(1924年)から100年以上が経過し、近年の「百寿ラッシュ」につながっています。
大赤道儀室の中には、ドイツのカールツァイス社製の口径65cm屈折望遠鏡が設置されています。これは1929年の設置当時、日本で最大の口径を誇る望遠鏡でした。屈折望遠鏡としては、現在でも日本最大の口径という地位にいます。この望遠鏡は種々の天体写真観測や分光観測に用いられてきました。主な観測成果としては、土星の衛星の写真による位置観測(天文台歴史館1階で当時の写真乾板を見ることができます)、光電測光装置を使った食変光星の多色測光観測、プリズム分光器を使った恒星の分類などがあります(参考1)。1998年に研究観測を引退し、2001年からは天文台歴史館の主として静態展示されています。
大赤道儀室が建設された1926年に、まだ中の65cm屈折望遠鏡はありませんでした。その時は、大赤道儀室の土台(コンクリート製の円筒部分)のみが完成した状態で、ドーム部分がなかったのです。当時の東京帝国大学営繕課では、直径15メートルもあるドームの設計が難しく、望遠鏡を作っているカールツァイス社の設計によるドームを輸入してくることになりました。しかし、ドイツからドームの材料が届いても、日本に組み立てた経験がある人はいないので、組み立て方がわからなくて困りました。当時組み立てを担当していた橋元昌矣氏は、国際学会でヨーロッパに出張した際、海外の天文台のドームを見て歩いて構造を調べたりしたそうです。
結局、ドームのような大きな構造物は造船所で作ることができるのではないかと、つてをたどって石川島造船所(当時)に相談したところ、損得を度外視して引き受けてくれることになりました。こうして1929年3月31日にドームを含めたすべての建物は完成しました。
ドームが完成したら、その中で望遠鏡を組み立てなければなりません。望遠鏡は大きく重い部品が多いので、建物の扉から入れることができず、高さ20メートルの櫓(やぐら)を組んで吊り上げ、ドームのスリットから中に入れて組み立てました。クレーンなどの重機がない時代に、大変な作業であったことが推察されます。65cm屈折望遠鏡の設置が終わったのは1929年11月末でした(参考2)。
この写真は完成してから間もない頃と思われる大赤道儀室です。ドームに窓があったことがわかります。今ではこの窓は残っていませんが、大赤道儀室の中に入って内側からドームを見上げると、少しだけ色合いが違う板があり、かつての窓の痕跡を見ることができます。大赤道儀室の周りを取り囲むように、プラタナスの幼木が植えられています。このうちのいく本かは、今ではドームを見下ろすような大木となり、フクロウが利用している様子も見られます。
プラタナスの木の成長が100年の時の流れを感じさせてくれます。
天文台歴史館には、毎月第1と第3土曜日に解説ガイドを配置しています(諸々の事情により、配置できない時もありますのでご了承ください)。エアコンがないため夏や冬の見学はちょっと大変ですが、何十年もの間、ここで観測していた研究者たちの声が響いていたであろうドームの中へ、ぜひ一度いらしてみてください。
- (参考1)東京大学百年史教養学部史編集委員会編「東京大學百年史:部局史三」、1987年、第十一編 東京天文台
- (参考2)橋元昌矣(はしもと・まさお)、「大赤道儀の据付工事を終へて」、1930年、天文月報(日本天文学会第23巻1号)