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『銀河鉄道の夜』の時代と銀河描像の広がり

著者近影内藤誠一郎(国立天文台 天文情報センター)

秋の初め、空を横切る天の川
秋の初め、空を横切る天の川。11月には、日が暮れて暗くなったころの空を、南西に向かって 天の川が流れ下る。(クレジット:国立天文台) 画像(1.8MB)

秋の夜空の天の川

秋気が一段と深まり、暦はいち早く冬の訪れを告げたこの時期にも、日が沈んで暗くなった夜空にはまだ夏の大三角が輝いています。それを貫いて、十分に暗い空では天の川のぼんやりとした流れを見ることができるかもしれません。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。

――『銀河鉄道の夜』より

先ごろ9月に没後90年を迎えた宮沢賢治は、後に代表作となった『銀河鉄道の夜』冒頭、午後の授業の場面をこんな問いかけから始めています。その答えは、ご存じですね。「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。」皆さんそうでしょう。天の川の正体が恒星の集合であることを天体望遠鏡により観測事実として確かめたのは17世紀初めのガリレイでした。

天の川の深いところ

18世紀、ハーシェルは空の様々な場所で望遠鏡の視野に見える星を数え、分布を調査しました。星の数が多いところほど星の分布が奥まで続いていると考えたのです。

「そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集まって見え、したがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい」
 先生は中にたくさん光る砂のつぶのはいった大きな両面の凸レンズを指しました。

――『銀河鉄道の夜』より
星星計数法でハーシェルが描いた天の川銀河の姿(ページ右側)
星計数法でハーシェルが描いた天の川銀河の姿(ページ右側)。中央付近の大きめの星が太陽の位置。(出典:Philosophical Transaction of the Royal Society of London, Vol.75 (1785), Biodiversity Heritage Library

こうして、凸レンズ状に分布する恒星の集団としての天の川銀河の姿が初めて描き出され(当時はそれが宇宙全体だと考えられました)、その中央部に太陽が位置しているとされました。現在の知識から見れば違和感のある解釈ですが、20世紀初頭までこうした宇宙図が標準的でした。ジョバンニたちの先生が「私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。」と説明しているのも、当時の理解を反映していたのでしょうか。

星雲はどれだけ「はるか」か

夜空には雲のようにぼんやりと見える多くの「星雲」があります。望遠鏡が発達し、あるものは一つ一つの星に分解して観察され、また渦巻き状の構造が見られるようになりました。それらの星雲で発生した新星の明るさや、星雲自体の運動が調べられると、遠距離にある天の川と同様の恒星の集団だとする考えが力を持ってきます。

肉眼で見られるため古来知られていた星雲に、大小の「マゼラン星雲」があります。南半球の空を実際に見たことは無かったでしょうが、宮沢賢治は詩のこんな一節で思いをはせました。

水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ

――宮沢賢治『春と修羅 第二集』収録『一六六 薤露青(かいろせい)』より

宮沢賢治がこの星雲をどれほど「はるか」に想像していたかは察し得ませんが、彼が生きていた時代に、このマゼラン星雲群の中で重要な研究が進んでいました。女性天文学者の先駆者のひとりであるリービットは、マゼラン星雲群の写真から周期的に明るさを変える変光星を多数発見し、一部のグループが「明るい変光星ほど変光周期が長い」傾向を示すことを発見しています。

「ケフェウス座デルタ型」と呼ばれるタイプの変光星で見いだされたこの「周期―光度関係」を利用すれば、変光周期から本来の明るさ(絶対等級)を推定することができ、その星が暗く見えるほど遠くにあることになります。宇宙で距離を測定する代表的な手法として、現在も用いられています。

天の川銀河の大きさと太陽系の位置、渦巻(うずまき)星雲の正体。20世紀冒頭の天文学の大問題を解く準備が整いつつありました。

歴史的な観測も、秋の空で

そして、今から100年前の秋、宇宙観を大きく転換することになった歴史的な観測が行われました。渦巻星雲の距離を調べるために、米国カリフォルニア州ウィルソン山にある口径2.5mフッカー望遠鏡を使って、ケフェウス座デルタ型変光星を探していたハッブルが、1923年10月5日から6日にかけて撮影したアンドロメダ「星雲」M31の写真に、最初の変光星を見つけたのです。

ハッブルが計算したM31までの距離は、天の川の想定される大きさをはるかに飛び出した約90万光年(現在の測定では約250万光年)。M31は天の川銀河の外側にある恒星の集団、アンドロメダ「銀河」であることが確定したのです(論文の出版は1925年)。

すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラ「ハイパー・シュプリーム・カム)(HSC)で撮影したM31(アンドロメダ銀河)
すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラ「ハイパー・シュプリーム・カム)(HSC)で撮影したM31(アンドロメダ銀河)。250万光年離れた銀河が恒星の集団として分解されており、100年前にハッブルが初めて検出した変光星も確認できる。(クレジット:国立天文台/HSC-SSP)

『銀河鉄道の夜』は、1924年に執筆が始まり、1933年に宮澤賢治が没するまで書き続けられたといいます。時を同じくして天文学者たちが一気に開拓していった銀河宇宙の描像が、広く社会に伝わり定着するにはわずかに一足先んじて、人生を駆け抜けてしまったのかもしれません。もし、宮沢賢治が幾年も永らえていたならば、幻想第四次の旅は天の川の流れの中で終わらず、暗闇の向こうにある別の銀河までその想像力を飛ばしていたのでしょうか。

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち

――宮沢賢治『星めぐりの歌』より

秋の夜、天の川が見えるほど暗い空では、カシオペヤ座にほど近いその畔(ほとり)、アンドロメダ座の中に、肉眼でもぼんやりと小さな雲のようなM31銀河を見つけることができます(冒頭の写真にも、実は小さく淡く写っています)。ハッブルが同じ論文で変光星の観測を報告したM33(さんかく座銀河)も、ごくかすかに見えているかもしれません。

100年前と今とで、私たちはだいぶ違う深さで星空を見上げるようになったのだと、そう思って秋の夜長を過ごしてみてはいかがでしょうか。

アンドロメダ銀河が、天の川銀河(銀河系)の外側にある同じような渦巻銀河であることが確認されて、ようやく1世紀
アンドロメダ銀河が、天の川銀河(銀河系)の外側にある同じような渦巻銀河であることが確認されて、ようやく1世紀。ともに、数十個の銀河からなる局部銀河群の主要メンバーだ。(クレジット:加藤恒彦、国立天文台四次元デジタル宇宙プロジェクト)

銀河の謎解きを、皆さんと一緒に

私たちの天の川銀河が、宇宙に浮かぶ多数の銀河の一つであることがわかって、1世紀。銀河についての研究は大きく進み、そして今も多くの問いに向き合っています。国立天文台でも、すばる望遠鏡を用いた可視光・赤外線観測やアルマ望遠鏡による電波観測で、銀河の観測研究が盛んに続けられています。また、天文学専用のスーパーコンピュータを用いた銀河形成シミュレーションでの再現も現在のトレンドです。

銀河の形態を分類し、その成果から銀河進化を解明することを目指して、市民天文学者と天文学研究者が同じデータに取り組む市民天文学プロジェクト「GALAXY CRUISE」では、ただ今、シミュレーションした銀河を分類する「2023特別キャンペーン」を展開中。銀河の謎を解く航海へのご参加をお待ちしています。

文中の宮沢賢治による作品は、次より引用しました。

  • 角川文庫『銀河鉄道の夜』(角川書店)
  • ちくま文庫『宮沢賢治全集1』(筑摩書房)
  • 『新校本 宮澤賢治全集 第六巻 詩5』(筑摩書房)

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