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日本天文遺産に、200MHz太陽電波望遠鏡と臨時緯度観測所本館が認定

日本天文遺産に認定された、三鷹200MHz太陽電波望遠鏡と、臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)
日本天文遺産に認定された、三鷹200MHz太陽電波望遠鏡(左)と、臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)(右)。(クレジット:国立天文台)

このたび、国立天文台が所轄する建造物等2件が、第7回(2024年度)「日本天文遺産」に認定されました。野辺山宇宙電波観測所内にある「三鷹200MHz太陽電波望遠鏡」と、水沢VLBI観測所内の「臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)」です。

三鷹200MHz太陽電波望遠鏡

東京大学東京天文台(現在の国立天文台三鷹キャンパス)内に建設が進められ、1949年(昭和24年)に完成した、日本の最初期の太陽電波望遠鏡です。アンテナは縦が約3メートル、横が約5メートルの木枠に金属棒を固定して作られ、架台は1936年の日食で使用された赤道儀の一部を流用、追尾装置はなく天体の日周運動に合わせて手動で操作したようです。戦後間もない頃、建設に必要な資材をそろえるのが難しい中、文部省電波物理研究所(現在の情報通信研究機構の前身)の協力のもとで、工夫をこらしながら完成に至った最初期の電波望遠鏡は、みごとに太陽電波の受信に成功しました。日本の電波天文学はこの望遠鏡からスタートしたのです。

この記念碑的な電波望遠鏡も長い年月のあいだに木枠は朽ち、架台の軸などの一部の金属部材やわずかな部品が残るだけになりましたが、残った部材は野辺山に運び込まれ、有志の手によって復元されることになりました。残った部材は生かし、足りない部品を補充しながら少しずつ復元が進められました。2007年8月、日本で最初の電波望遠鏡の姿は野辺山の地によみがえったのです。当時の面影を色濃く残し、また最初期の電波望遠鏡の中で唯一廃棄を免れたこの望遠鏡は、復元にあたり劣化のため使用できなかった部品も含め、日本の電波天文学の黎明を伝える貴重な歴史的資料として、日本天文遺産に認定されました。この復元された電波望遠鏡の姿は、野辺山キャンパスで見学することができます。

(クレジット:国立天文台)

臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)

水沢(現在の岩手県奥州市)の臨時緯度観測所は、万国緯度観測事業のために北緯39度8分に設置された世界6カ所の観測所の一つで、1899年(明治32年)に設置されました。このたび日本天文遺産に認定された建物は、この臨時緯度観測所の庁舎本館として1900年(明治33年)に完成しました。臨時緯度観測所は、その後1920年(大正9年)に緯度観測所に、1988年(昭和63年)に国立天文台の一観測所に変更となりましたが、現在の水沢VLBI観測所本館が建設される1966年(昭和41年)までは、研究室として使用されていました。

現在の本館建設にあたり、この場所にあった建物は水沢キャンパスの北側に移設され、初代所長の木村榮(きむらひさし)(注1)の所長室などを再現した「木村記念館」として生まれ変わり、広く一般に公開されました。2008年(平成20年)の改修の際には、建設当時と同じ外壁の色に復元され、2011年(平成23年)からは、木村榮の功績をより広く認識してもらうため、「木村榮記念館」と名称を改めています。木村榮記念館は、所長室の再現だけでなく、木村が観測に使用した眼視天頂儀1号機(注2)、浮遊天頂儀、大森式地震計など、日本の天文学、地球科学の発展の歩みを伝える機器も合わせて展示されています。建物、機器共に良好な保存状態であること、天文学の普及に貢献していることから、日本天文遺産に認定されました。この建物は、国の登録有形文化財にも指定されています。

  • (注1)臨時緯度観測所、緯度観測所の初代所長を務めた。地球の緯度変化を計測するために用いられる公式に対して新たに加えられた要素(Z項)の発見で知られる。
  • (注2)臨時緯度観測所眼視天頂儀及び関連建築物は、第3回(2020年度)日本天文遺産 に認定されている。
(クレジット:国立天文台)

日本天文遺産は、歴史的に貴重な天文学・暦学関連の遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えその普及と活用を図るために、日本天文学会が認定するものです。これまでに、日本天文遺産に認定された国立天文台所轄の事物には、三鷹キャンパスの「6mミリ波電波望遠鏡」(第2回(2019年度))、水沢キャンパスの「臨時緯度観測所眼視天頂儀及び関連建築物」(第3回(2020年度))、三鷹キャンパスの「レプソルド子午儀及びレプソルド子午儀室」(第6回(2023年度))があります。

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