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『星学手簡』が国の重要文化財に指定

『星学手簡』(マイクロフィルムより)
『星学手簡』。上中下3巻の表紙(左)と、上巻に収録された書状の一部(右、マイクロフィルムより)。寛政8年(1796年)11月24日付で、江戸にいる間重富から京都にいる高橋至時にあてて送られたもの。作成した望遠鏡の出来について具合よくできあがっていることを伝えている。(クレジット:国立天文台) オリジナルサイズ(左)(159KB) オリジナルサイズ(右)(614KB)

国立天文台が所蔵する『星学手簡(せいがくしゅかん)』を国の重要文化財に指定することが、2022年11月18日の文化庁・文化審議会にて文部科学大臣あてに答申されました。国立天文台は、江戸幕府天文方が所蔵していたものを中心に、天文・暦・和算関係の古書を多数所蔵しており、『星学手簡』はその一つです。

『星学手簡』は、高橋至時(たかはし よしとき)(1764-1804)と間重富(はざま しげとみ)(1756-1816)の間で交わされた書状を中心に集成された、上中下の3巻から成る書物です。編者は至時の次男である渋川景佑(しぶかわ かげすけ)(1787-1856)と推定されています。

算学に優れ西洋天文学理論への理解を深めた至時と、裕福な商家を営み天文観測装置の考案・開発に才を見せた重富は、共に江戸時代後期の天文学者・麻田剛立(あさだ ごうりゅう)(1734-1799)に師事した研究仲間でした。天文方となった至時は、幕府から改暦の任を命じられます。至時は重富の協力を得ながら、江戸、大坂、京都、長崎など全国各地で天測、測地といった準備を行い、やがて最新の理論と精度の高い観測に基づいた「寛政暦」を完成させました。至時には、伊能忠敬(いのう ただたか)(1745-1818)が弟子入りしており、後に日本地図作成に活躍していくこととなります。

至時と重富の頻繁な書状の往復をまとめた『星学手簡』は、江戸時代後期の天体観測や天文暦学研究の実態、観測・測量機器の考案および改良、寛政の改暦や忠敬の全国測量の実情等を詳細に伝えています。幕末まで渋川家に所蔵されていた本書は、明治前期に科学思想史研究家の狩野亨吉(かのう こうきち)の手に渡り、その後東京天文台に譲渡されました。

貴重資料である『星学手簡』は、マイクロフィルムに記録され閲覧利用が可能となっています。またマイクロフィルムから起こした画像は、ウェブサイトでも公開しています。

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