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日本の公開天文台 星空と人をつなぐ100年

著者近影小野智子(天文情報センター)

国立天文台三鷹キャンパスの50センチ公開望遠鏡と小型望遠鏡を用いた定例観望会のようす
国立天文台三鷹キャンパスの50センチ公開望遠鏡と小型望遠鏡を用いた定例観望会のようす。(クレジット:国立天文台)

公開天文台

「天文台」というと、丸い屋根の建物(ドーム)のなかに天体観測用の望遠鏡が備え付けられた場所、というイメージを持つ人が多いでしょうか。このような「場所」や「建物」を示すこともあれば、天体望遠鏡を使った観測研究や普及活動をしている「機関」を示すこともあります。筆者が勤務している天文台は、天文学の研究所として位置づけられている「国立天文台」という機関であり、丸い屋根の建物そのものを意味しているわけではありません。

ところで、「公開天文台」と呼ばれる天文台をご存じでしょうか。公開天文台は、天文学の研究観測に資する天文台とは少し異なり、天文学の普及や教育をおもな目的として広く一般の民衆に開放されている天文台を意味します。その多くは、望遠鏡を使って天体を観察する「天体観望会」を活動の中心としています。

現在、日本には300あまりの公開天文台が存在します。その半数近くが、1988年からおよそ10年間という短いあいだに新設され、しかもほとんどが市町村立というから驚きです(そのため「公共天文台」と呼ばれることも多かった)。1980年代後半のいわゆる「バブル景気」、そしてそれを背景にした当時の政策「ふるさと創生事業」が影響したようです。さらに、1987年開催の環境庁(現在の環境省)による「星空の街コンテスト」の効果もあるようです。大気保全の意識向上をめざしたこのコンテストで、星空がよく見える町や村を「星空の街」に選定したことが、町村立の天文台設置につながったケースが複数ありました。偶然にも、76年ぶりのハレー彗星(すいせい)の回帰も社会的な話題になり、いろいろな社会的要因が全国での天文台の建設につながったと考えられます。

1980年代と1990年代に設置された公開天文台
1980年代と1990年代に設置された公開天文台。マップ中の“○”の大きさは望遠鏡の口径に対応している。現在300あまりある公開天文台のおよそ半数が、この期間に設置された。(公開天文台白書2006、公開天文台白書2018および公開天文台要覧2024等を参考に、日本公開天文台協会 公開天文台100周年調査・編纂WGにて作成)(クレジット:日本公開天文台協会)

日本で最初の公開天文台・倉敷天文台

東京天文台(現在の国立天文台)が麻布飯倉に創設された1888年(明治21年)、天文台といえば官立であり学者のみが観測に利用できるものでした。大正時代、日本も欧米列強に追いつくべく科学技術力の底上げが急務となった頃、市民への天文学普及と市民に開かれた天文台の設立を熱心に説いたのが、京都帝国大学の山本一清(やまもと・いっせい)、そして岡山商業学校教員の水野千里(みずの・ちさと)の両氏でした。この理念に触れた実業家の原澄治(はら・すみじ)は、私財を投じて日本で初めてとなる民間による天文台の設立に動いたのでした。そして、1926年(大正15年)11月21日、英国ホルランド社製の口径32センチメートル反射望遠鏡を備える民間天文台「倉敷天文台」が岡山県倉敷市に誕生したのです。2026年は、この倉敷天文台の設立100年という記念の年になります。

開設まもない倉敷天文台では、「天文同好会」(現在の東亜天文学会)の協力の下、1か月ないし2か月に1度、無料の天体観望会が開催され、近隣から多くの人々が訪れたそうです。また、後に彗星発見王として知られることになる本田實(ほんだ・みのる)も、この倉敷天文台で天体捜索の才能を開花させました。倉敷天文台は、日本で最初の民衆に開かれた天文台として日本の天文学普及に貢献しただけでなく、本田による天体捜索に代表されるアマチュアによる観測研究の分野においても大きな存在感を示す存在となったのです。

倉敷天文台の32センチメートル反射望遠鏡は、2000年に倉敷市指定重要文化財(歴史資料)となったほか、日本天文学会の2023年度日本天文遺産に認定されました。この望遠鏡は敷地内の「原澄治・本田實記念館」(1952年建造の5mドーム観測室)にて一般に公開されています。国登録有形文化財であるスライディングルーフ観測室(1926年建設)も、同年に日本天文遺産に認定されました。スライディングルーフ観測室は、現在はライフパーク倉敷科学センター敷地内へ移築・復元されていて、その外観を見学することができます。

また、民間初の公開天文台として100年にわたり一般市民に天体観望会の機会を提供し、公開天文台のモデルとなった倉敷天文台の活動がたたえられ、日本天文学会より2025年度天文教育普及賞の表彰を受けています。

星空と人をつないだ天文台の100年

1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本各地に急増した公開天文台。その横のつながりと人的交流、そして運営上の課題や目標の共有をめざして、「日本公開天文台協会」(以下、JAPOS)が2005年に設立されました。JAPOSは、日本の公開天文台の先駆けである倉敷天文台の開設100年となる2026年を日本の公開天文台100周年の年として、その記念事業を各地の公開天文台で展開しています。

記念事業の一つとして、2026年6月28日にJAPOSと倉敷天文台の共催で「くらしき天文台 公開デー」が開催されました。記念講演会や原澄治・本田實記念館の見学のほか、観測室の望遠鏡で昼間の星の観察会がおこなわれ、筆者も支援スタッフとして現場にあたりました。倉敷天文台にゆかりのある人や近隣住民といった多くの人が足を運んでいましたが、なかでも印象に残ったことを紹介します。 「本田さんが園長先生をされていた保育園に通っていたんです」と、老母が乗る車椅子を押しながら来場した女性。美観地区にあり本田實が晩年まで園長を務めていた保育園で、星の話を聴いた記憶があるそうです。熱心に展示に見入り、望遠鏡でとらえた金星を、母と共にのぞき込んでいました。また、同じ老人施設に入居しているという3人組の女性には「いつも一緒にベランダから星を見ているのよ」と星座早見盤を片手に星の名前を尋ねられました。隣地にあるその施設のベランダから、星空を見上げるだけでなく天文台を見下ろしているそうです。皆、倉敷天文台を身近な存在と感じ、そこに集い、思い思いに星空を眺めるたのしさを抱いている印象でした。 100年という長い時間のなかで、地域の人々とその頭上に広がる星空をつないできた、それが倉敷天文台の果たしてきた大きな役割であり、またこれからの100年も現在の公開天文台がめざす役割なのでしょう。

倉敷天文台内にある「原澄治・本田實記念館」と、館内に展示されている32センチメートル反射望遠鏡
倉敷天文台内にある「原澄治・本田實記念館」(左)と、館内に展示されている32センチメートル反射望遠鏡(右)。(クレジット:財団法人倉敷天文台)

公開天文台としての国立天文台

国立天文台は天文学の研究機関ですが、公開天文台としての側面も持っています。

三鷹キャンパス(東京都三鷹市)では、1996年より50センチ公開望遠鏡を使った一般市民向けの天体観望会を開催しています。口径105センチメートルのむりかぶし望遠鏡を主力とする石垣島天文台(沖縄県石垣市)も、2006年の開設以来、一般市民向けの天体観望会を開催しています。また、1962年より全国の大学等の共同利用に供した旧岡山天体物理観測所(岡山県浅口市、現在はハワイ観測所岡山分室)でも、2008年から2017年までは、ふだんは研究観測で利用している口径188センチメートル反射望遠鏡を用いた特別観望会を年2回開催していました(2018年度以降は、東京科学大学、浅口市との三者による運用となり、天体観望会は浅口市の主催で行われています)。

広く一般市民にも星空や天文学に親しんでほしい、そしていま国立天文台や日本の天文学者が向き合っている宇宙の姿に触れてほしい。国立天文台が持つ公開天文台としての一面には、そんな願いが込められています。

国立天文台 旧岡山天体物理観測所の188センチメートル反射望遠鏡を使った特別天体観望会(2017年8月)のようす
国立天文台 旧岡山天体物理観測所の188センチメートル反射望遠鏡を使った特別天体観望会(2017年8月)のようす。(クレジット:国立天文台)

参考

  • 日本の公開天文台100年の軌道 第1夜:はじまりの「倉敷天文台」と本田 實(三島和久、月刊『星ナビ』2026年6月号)
  • 日本の公開天文台100年の軌道 第2夜:アマチュアの奮闘 黎明期の天文台たち(澤田幸輝、月刊『星ナビ』2026年7月号)
  • 日本の公開天文台 100年の軌道 第3夜:星空と人をつなぎ、次の100年へ――変わりゆく時代とともに(小野智子、月刊『星ナビ』2026年8月号)
  • 天文遺産:倉敷天文台と天体発見王 本田實(上)(中)(下)(『日経サイエンス』2024年10月号、11月号、12月号)

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