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訃報:古在由秀 元国立天文台長

国立天文台長を発足時の1988年から6年間にわたって務められた古在由秀(こざい よしひで)国立天文台名誉教授が、2018年(平成30年)2月5日(月曜日)午後6時15分、肝不全のため逝去されました。89歳でした。

古在先生は天文学分野での世界的リーダーのおひとりで、東京天文台、国立天文台および日本と世界の天文学の発展のために力を尽くされました。1952年に東京大学東京天文台に着任、米国スミソニアン観測所客員研究員などを経て1981年に東京天文台長に就任されました。東京天文台の近代化とともに1988年の大学共同利用機関・国立天文台への改組をリードし、初代国立天文台長を1992年まで務められました。この間、口径8.2メートルのすばる望遠鏡を日本初の海外設置大型研究施設として実現し、1988年から1991年まで日本人として初めての国際天文学連合(IAU)会長を務めるなど、国際的にも広く活躍されました。

天体力学を中心とする研究では、人工衛星の運動における世界的な権威として知られています。人工衛星の軌道計算に今も用いられる「古在の式」とその応用の一つである地球の南北非対称(いわゆる「西洋梨型」の形状)の発見、傾いた軌道や長円形の軌道にある小惑星が惑星重力によって大きく軌道変化をする力学的な機構(現在は太陽系外の惑星系で広く応用され、「古在機構」と呼ばれる)を提唱するなど、数々の重要な業績を挙げられました。これらの業績により、1979年に恩賜賞・日本学士院賞、1990年に米国天文学会ブラウアー賞、2002年に勲二等瑞宝章(ずいほうしょう)を受章、2009年には文化功労者に選ばれました。いっぽう日本学術会議では女性研究者問題などに取り組まれ、国立天文台退職後、ぐんま天文台 台長として日本やアジア諸国の若手研究者を支援するなど、社会的にもさまざまに貢献されました。一般書の執筆や天文雑誌の編集委員を含めて、アマチュア天文家たちと温かい交流を重ねられたことも忘れられてはなりません。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

林正彦 国立天文台長のコメント

古在由秀先生は天体力学の研究で多くの重要な成果を挙げられましたが、一方で大学共同利用機関としての国立天文台が発展する礎を作られ、現在の日本の天文学の興隆をもたらされました。特に、最後の東京天文台長として1988年の国立天文台の発足を牽引(けんいん)され、また日本が初めて国外に大型望遠鏡(後のすばる望遠鏡)を設置する決断をされ、その後に初代国立天文台長としてこれを指揮されました。同時に重力波の検出実験もリードされ、1990年代には三鷹構内のTAMA300によって重力波検出装置としてのレーザー干渉計の可能性を実証されました。ここに、日本の天文学の発展に多大な寄与をされた古在先生に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

平成30年2月13日

古在由秀先生(1928-2018) 略歴
1952年(昭和27年) 東京大学東京天文台助手
1958年(昭和33年) 理学博士(東京大学)
1958年(昭和33年) スミソニアン天体物理学観測所・ハーバード大学天文台 客員研究員(1963年まで)
1963年(昭和38年) 東京大学東京天文台助教授
1963年度 朝日賞
1965年(昭和40年) 東京天文台附属人工衛星国内計算施設長
1966年(昭和41年) 東京大学東京天文台教授
1973年(昭和48年) 東京天文台附属堂平観測所長
1979年(昭和54年) 恩賜賞・日本学士院賞:「土星衛星、人工衛星及び小惑星の運動の研究」
1980年(昭和55年) 日本学士院会員
1981年(昭和56年) 東京大学東京天文台長(1988年まで)
1983年(昭和58年) 日本天文学会理事長(1985年まで)
1988年(昭和63年) 国立天文台長(初代、1994年まで)
1988年(昭和63年) 国際天文学連合(IAU)会長(日本人初、1991年まで)
1990年(平成2年) アメリカ天文学会ブラウアー賞
1997年(平成9年) 群馬県立ぐんま天文台 台長(2012年まで)
2002年(平成14年) 勲二等瑞宝章
2009年(平成21年) 文化功労者
2010年(平成22年) 三鷹市名誉市民
2018年(平成30年) 逝去

2018年2月20日:記事の一部を加筆・修正しました。

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