今週の一枚トップ 今週の一枚 「浅草鳥越堀田原図」 2015年11月25日 地図の中で赤く囲んだ「頒暦所御用ヤシキ(はんれきしょ ごようやしき)」とあるのが、1782年(天明2年)に建てられた浅草天文台になります。寛政の改暦の際に用いられ、その後も幕末まで天文方の観測に使われました。 かつてこの地の北側には鳥越の丘があり、さらに北に姫ヶ池がありました。しかし江戸に入府する際の土地不足を解消するために池を埋め立てることになり、丘は崩されてしまいます。北に広がっていた丘も無くなり、東と南は川辺である低地へと続くこの場所は見通しが良く、観測に適しているとされて、天文台用地として選ばれたのでしょう。 天文台というと、現在では観測条件のために住宅地から離れたところにあるというイメージがあります。しかしこの地図を見ると、北西に鳥越神社、北に寿松院、北東には江戸名所図会に取り上げられている西福寺、鳥越川を挟んだ南の向かいには札差御改正会所(ふださし ごかいせい かいしょ)があり、なかなかに都会であると言えるのではないでしょうか。このような町中であっても観測に困らなかったことが逆に、江戸の夜の暗さを感じさせます。なお、浅草天文台も「鳥越の不二」として葛飾北斎(かつしか ほくさい)の「富嶽百景」に収録されています。 浅草天文台は明治維新後に取り壊されました。現在は蔵前一丁目の交差点(東京都台東区浅草橋3-20)に天文台跡という説明板が設けられています。 ※「浅草鳥越堀田原図」=「あさくさ とりごえ ほったはら ず」 製作年月1850年(嘉永3年) 製作者村上吾雄 クレジット所蔵 国立天文台 画像データ ダウンロード 中解像度(940 x 731、292KB) 最高解像度(1029 x 800、375KB) 関連リンク 国立天文台 図書室 測量台(『寛政暦書』) 次の一枚:冬空を射抜くふたご座流星群 前の一枚:太陽系と銀河系の交差点 今週の一枚トップ
地図の中で赤く囲んだ「頒暦所御用ヤシキ(はんれきしょ ごようやしき)」とあるのが、1782年(天明2年)に建てられた浅草天文台になります。寛政の改暦の際に用いられ、その後も幕末まで天文方の観測に使われました。
かつてこの地の北側には鳥越の丘があり、さらに北に姫ヶ池がありました。しかし江戸に入府する際の土地不足を解消するために池を埋め立てることになり、丘は崩されてしまいます。北に広がっていた丘も無くなり、東と南は川辺である低地へと続くこの場所は見通しが良く、観測に適しているとされて、天文台用地として選ばれたのでしょう。
天文台というと、現在では観測条件のために住宅地から離れたところにあるというイメージがあります。しかしこの地図を見ると、北西に鳥越神社、北に寿松院、北東には江戸名所図会に取り上げられている西福寺、鳥越川を挟んだ南の向かいには札差御改正会所(ふださし ごかいせい かいしょ)があり、なかなかに都会であると言えるのではないでしょうか。このような町中であっても観測に困らなかったことが逆に、江戸の夜の暗さを感じさせます。なお、浅草天文台も「鳥越の不二」として葛飾北斎(かつしか ほくさい)の「富嶽百景」に収録されています。 浅草天文台は明治維新後に取り壊されました。現在は蔵前一丁目の交差点(東京都台東区浅草橋3-20)に天文台跡という説明板が設けられています。
※「浅草鳥越堀田原図」=「あさくさ とりごえ ほったはら ず」