今週の一枚

測量台(『寛政暦書』)

測量台(『寛政暦書』)

「測量台」の図は、『寛政暦書』の中に収められています。

日本独自の暦である貞享暦が作られた後、宝暦暦という暦に改暦されました。しかし宝暦暦は貞享暦を改悪しただけのものだったため、幕府は高橋至時(たかはし よしとき)と間重富(はざま しげとみ)を出府させ、寛政暦を作らせました。寛政暦は初めて西洋の天文学が取り入れられた暦で、観測機器も西洋の技術が取り入れたものが多数用いられています。 『寛政暦書』はそれらをまとめたもので、高橋至時の次男である渋川景佑(しぶかわ かげすけ)によって編集されました。観測機器の詳細な図と解説が載っており、「測量台」の図はその一つです。

図の測量台は1782年(天明2年)に浅草に置かれたため、浅草天文台と呼ばれています。それまでの天文台は改暦が終わると使用されなくなるなど、一時的な使い方をされたのに対し、浅草天文台は常設された天文台です。寛政暦の改暦のための観測に用いられ、「頒暦所御用屋敷(はんれきしょごようやしき)」と称されましたが、改暦の後も、幕末まで観測が行われました。

明治維新に伴い天文方が廃止され、1869年(明治2年)に浅草天文台は廃止されることになります。浅草天文台で用いられていた機器類は開成学校に引き渡されましたが、その後の消息は不明です。