今週の一枚トップ 今週の一枚 古制蓮漏図「宣明暦」 2015年6月 9日 画像は「宣明暦」内の漏刻(ろうこく)の図で、漏刻とは水時計のことです。「古制蓮漏図(こせいれんろうず)」という見出しで、下に中国での漏刻の歴史が記されています。黄帝が作ったと記されていますが、伝説の存在である黄帝の時代はさておき、少なくとも紀元前には中国に存在していたようです。 日本では、「日本書紀」に660年に中大兄皇子が初めて漏刻を作ったと記されています。そして671年に、中大兄皇子が即位して天智天皇になった後に、新しい台に漏刻を設置して、鐘鼓で時を告げたと記されています。現在の6月10日の「時の記念日」はこの日を基に定められました。 日本でかつて使われていた漏刻は、図等が残っておりませんのでその形は定かではありません。しかし、中国から輸入した知識を基に作られたので、形状もおそらく中国のものに似ていると思われます。漏刻は溜まっていく水の深さで時刻を計りますが、水面が低下するにつれ水流はおとろえるため、単純に穴から水を流しただけでは一定して時を計ることは困難です。図の漏刻では管になっていますが、実際にはサイフォンを用い、箱を4つに分けて水の落ちる速さをなるべく一定にするように工夫したようです。 制作年月日1644年(寛永21年) 制作者不明 クレジット所蔵 国立天文台 画像データ ダウンロード 最高解像度(800 x 666、161KB) 関連リンク 国立天文台 図書室 「脅威のハイテク技術 天智天皇の水時計を機能させた銅管」(「銅」誌 第155号、一般社団法人日本銅センター発行)(PDF) 次の一枚:アルマ望遠鏡アンテナへの受信機搭載 前の一枚:プロミネンス 今週の一枚トップ
画像は「宣明暦」内の漏刻(ろうこく)の図で、漏刻とは水時計のことです。「古制蓮漏図(こせいれんろうず)」という見出しで、下に中国での漏刻の歴史が記されています。黄帝が作ったと記されていますが、伝説の存在である黄帝の時代はさておき、少なくとも紀元前には中国に存在していたようです。
日本では、「日本書紀」に660年に中大兄皇子が初めて漏刻を作ったと記されています。そして671年に、中大兄皇子が即位して天智天皇になった後に、新しい台に漏刻を設置して、鐘鼓で時を告げたと記されています。現在の6月10日の「時の記念日」はこの日を基に定められました。
日本でかつて使われていた漏刻は、図等が残っておりませんのでその形は定かではありません。しかし、中国から輸入した知識を基に作られたので、形状もおそらく中国のものに似ていると思われます。漏刻は溜まっていく水の深さで時刻を計りますが、水面が低下するにつれ水流はおとろえるため、単純に穴から水を流しただけでは一定して時を計ることは困難です。図の漏刻では管になっていますが、実際にはサイフォンを用い、箱を4つに分けて水の落ちる速さをなるべく一定にするように工夫したようです。