今週の一枚トップ 今週の一枚 「田山暦」(「東遊記後編」収録) 2015年2月 3日 南部領鹿角(かづの)郡の田山で作られた絵暦です。「盛岡暦」と併せて南部暦と言われています。 元禄(1688-1704年)もしくは正徳(1711-1715年)の頃に田山にやってきた善八が作ったと伝えられています。現存するものは少なく、最古のものは1783年(天明3年)です。 国立天文台が所蔵している橘南谿の紀行録「東遊記後編」に、田山暦が収録されています。この紀行録に取り上げられたことにより、田山暦は当時珍しがられたそうです。「南部の辺鄙にはいろはをだに知らずして盲暦というものありとぞ」と、文盲の人でも分かるように作られた絵暦であると紹介されました。 田山暦は 文字を知らない農民の耕作の助けになるように作られたとされています。 画像の「田山暦」の読み方は、まず上の縄で月を見ます。当時、ひと月は30日の大の月と、29日の小の月がありましたが、描かれた縄の結び目にあたる月が大の月、途中に描かれた月が小の月です。1から4までが縦線、5が○、6から7は○の中に縦線を足し、8と9は○の中の二つの縦線に横線を足し(図では南谿の写し間違いにより縦線のみとなっています)、10が○の中に十、11は10に横線を、12は10に縦線二つを足しています。月の記号の上の動物は朔日の干支です。 5月を見ると入梅を表す梅の絵 、苗束(田植え吉の日)、6月を見ると○半分で半夏生が描かれており、それぞれの記号の下に日付が記されています。 制作年月1797年(寛政9年) 制作者橘南谿 クレジット所蔵 国立天文台 画像データ ダウンロード 最高解像度(994 x 800、224KB) 関連リンク 盛岡暦 国立天文台図書室 次の一枚:近赤外線で見た木星と衛星ガニメデ 前の一枚:標高5000メートルに運ばれていくアルマ望遠鏡7メートルアンテナ 今週の一枚トップ
南部領鹿角(かづの)郡の田山で作られた絵暦です。「盛岡暦」と併せて南部暦と言われています。
元禄(1688-1704年)もしくは正徳(1711-1715年)の頃に田山にやってきた善八が作ったと伝えられています。現存するものは少なく、最古のものは1783年(天明3年)です。
国立天文台が所蔵している橘南谿の紀行録「東遊記後編」に、田山暦が収録されています。この紀行録に取り上げられたことにより、田山暦は当時珍しがられたそうです。「南部の辺鄙にはいろはをだに知らずして盲暦というものありとぞ」と、文盲の人でも分かるように作られた絵暦であると紹介されました。
田山暦は 文字を知らない農民の耕作の助けになるように作られたとされています。
画像の「田山暦」の読み方は、まず上の縄で月を見ます。当時、ひと月は30日の大の月と、29日の小の月がありましたが、描かれた縄の結び目にあたる月が大の月、途中に描かれた月が小の月です。1から4までが縦線、5が○、6から7は○の中に縦線を足し、8と9は○の中の二つの縦線に横線を足し(図では南谿の写し間違いにより縦線のみとなっています)、10が○の中に十、11は10に横線を、12は10に縦線二つを足しています。月の記号の上の動物は朔日の干支です。
5月を見ると入梅を表す梅の絵 、苗束(田植え吉の日)、6月を見ると○半分で半夏生が描かれており、それぞれの記号の下に日付が記されています。