野辺山宇宙電波観測所 技師 倉上富夫

歴史を重ねた45メートルアンテナを大切に、守り抜く

野辺山宇宙電波観測所
技師

倉上富夫

Tomio Kurakami

海部さんからの電話は「ハワイに来てくれませんか」

大学生の時は航技研(航空宇宙技術研究所)でバイトをしていて、就活に関しては公務員もいいなぁぐらいに漠然と考えていました。公務員試験、二次面接に受かって、いよいよ行き先を選ぶとき、最初は航技研に行きたいと思ったのですが、その年は航技研では募集をしていなくて。それじゃ航技研の近くに国立天文台があるから、国立天文台にしよう。本当にそんな理由でした(笑)。

就職が決まる前後ぐらいに、天文学者の方の面接を受ける機会があって、「ちょうどハワイで大型望遠鏡の建設計画があるので、ゆくゆくはそっちへ行ってほしい」と。その勉強も兼ねて「まずは岡山(岡山天体物理観測所)へ行って」と言われて、最初は岡山天体物理観測所勤務になりました。5年たって、ハワイ観測所の海部宣男さんから電話をいただいて「倉上くん、ハワイに来てくれませんか」と。それで1998年にハワイ観測所へ異動しました。

インタビューの様子

高低差4000メートルの通勤。すばる望遠鏡の建設

ハワイ観測所へ異動した1998年はちょうど、すばる望遠鏡が立ち上がる時期で、忙しかったですね。まず大変だったのは体力。海抜0メートルぐらいの山麓のオフィスから約4000メートルの山頂にある現場まで、最初の1、2年は毎日往復していたのですが、はじめはちょっと見学して降りてくるだけで筋肉痛になりました。酸素が足りなくて。

仕事の内容としては、三菱電機さんの建設作業を見学することに始まって、作業の一部を手伝ったり……。完成が近づくと三菱電機さんは少しずつ撤退して行って、残った方々と一緒にメンテナンスとか整備を行って。現在では普段のメンテナンスは天文台のスタッフだけでやっています。すばる望遠鏡の主鏡は口径が8.2メートルあって、その主鏡のアルミニウム再蒸着作業も僕の仕事のひとつでした。ハワイ観測所には17年間いて、自分なりには頑張ってきたかなぁと、まぁ、“やりきった感”はあります。十分、すばる望遠鏡で仕事をさせてもらってハワイ生活も満喫したころ、父が倒れて。ちょうど僕の仕事の後を継いでくれる人が入ってきたので、僕は日本へ戻ることを決めました。

万全にして迎える、野辺山の冬の観測シーズン

日本での赴任先は、実家との行き来がしやすくて、巨大望遠鏡が魅力的な野辺山宇宙電波観測所に。ここは冬が観測のハイシーズンで24時間観測が続くので、夏に整備期間を設けています。整備期間を迎える前に、大きな作業をどう行うか計画を立てたり、下準備をしたり、そういったことを冬場にやっておきます。計画通りに整備が終わらないと、ハイシーズンの観測に支障をきたすので、そういう厳しいところはあると思います。僕は段取りがしっかりできていれば、もうできたようなものだと思っていて、それはハワイで学んだことでもあります。ハワイの場合、山麓のオフィスなどでしっかり準備しておかないと、いきなり山頂の現場へ行ってうまくいかなかったでは済まないので。

野辺山は寒いですけど、雪はそれほど降らない。でも年に4、5回は雪かきをします。45メートルのアンテナを地面と垂直に近い状態にして、届く範囲だけ雪かきをして、残りは太陽光で溶かしてもらう。アンテナ担当は2人しかいませんが、雪かきのときはスタッフ総出。所長も天文学者も一緒に、レール周りとかも含めて行います。

グリス塗りも大事な仕事のひとつ
“45メートルアンテナ内部”

40年以上たつ45メートルアンテナをちゃんと維持すること

野辺山宇宙電波観測所の45メートルアンテナは、40年以上前にできたので、所内ネットワークとかも確立されていない頃のもの。以前はいろいろな作業をほとんど手動でやっていました。それを計算機で動かせるようにし、ネットワークを介して動かせるようにし、改良を重ねて進化させていくあたりは、一番楽しいところです。どうやって改造しようか、一から考えて、材料を買ってきて、作り込んで、動かしてみて、不具合を調整して……。やりたいことと、やらなきゃいけないことが合致している充実感がありますね。傷んでいるところを塗装するのも、お金がかからないように自分たちでやったり。

僕はガンダム世代なので、大きなロボットとか巨大なものが動くのが好きなんです。野辺山宇宙電波観測所のアンテナも、動くと迫力があってかっこいいなぁといつも思っています。今、抱いている一番の目標は45メートルのアンテナをちゃんと維持し続けること。かなり老朽化していますが、手をかけて大切に守っていきたいと考えています。

45メートル電波望遠鏡と

取材日:2024年9月4日/公開日:2024年11月22日
取材・文:臼田雅美/写真:長山省吾
掲載内容は取材時のもの

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