一つの時代の終焉に思う

竹田洋一(国立天文台)

国立天文台 准教授。東京大学理学系大学院にて博士号を取得後、ハイデルベルク大学研究員等を経て現職。恒星のスペクトルを解析して恒星大気の組成や物理状態を調べるとともに、惑星の存在など恒星の周りの状態や銀河系の化学進化などの関連分野にも及ぶ観測的恒星物理学を専門に研究。岡山天体物理観測所で得られた観測データを基に執筆した論文は多数あり。

日本一の188cm望遠鏡を擁し全国の光赤外天文学研究者のための共同利用機関として半世紀近い長い歴史を持つ岡山天体物理観測所が、このたび共同利用の役割を京都大学の新望遠鏡に委ね、国立天文台の施設としては発展的解消をすることになりました。ユーザーとして長年岡山のお世話になった私としては感慨深いものがあります。当初この話を耳にしたときは岡山に愛着を持つ私としては大変残念な思いでしたが、この世の中に永遠に続くものはありません。188cm鏡は後継の京大望遠鏡に共同利用の大任を託すとはいえ、国内の大学研究者の協力で活動を続けて系外惑星科学の観測を主体に人々のお役に立つことができるのですから、幸せな余生が与えられて本当によかったと思っています。

系外惑星といえば、視線速度法による巨星周りの惑星捜索は今では岡山観測所の看板的なサイエンスですが、これは2000年に高分散分光器HIDESが立ち上がった頃から本格的に始まりました。初期の頃は私もこの企てに少し関わっておりましたので当時を懐かしく思い出します。この成功の主たる要因はプロジェクト推進の中心的役割を果たしたメンバーの皆さんの努力の賜であったことはもちろんですが、今振り返ってみれば時宜を得た幸運にも恵まれていました。何といっても広い波長域をカバーして極めて安定度の高い高分散クーデエシェル分光器のHIDESがなければ毎秒数メートルという微小な相対視線速度変化の検出は困難だったでしょう。1990年代に入った頃は来るすばる時代における岡山観測所の役割や進めるべきサイエンスが熱く色々議論されていました。分光学においては1960-70年代の岡山で中心的だった早期型主系列星や赤色巨星など明るい恒星の高分散分光はすでに時代遅れの感があり、これからは分解能や安定性を多少犠牲にしても恒星を用いた銀河系の研究などより暗い天体の観測に重点を置く方がよいという意見も強かったように記憶しています。それもあってかコンパクトで効率のよいカセグレンエシェル分光器が当初計画され、かなり実現に近いところまで来ていたと聞きます。しかし結局は国立天文台首脳による岡山会議での決定で従来のクーデ焦点分光器の堅牢な筐体をそのまま生かしたHIDESに落ち着くのですが、今にして思えばよくぞこの選択をしてくれました。

また世界初の系外惑星発見という出来事がちょうど起こってくれたのは天の配剤ともいうべきでしょう。これはHIDES計画が動き出した頃と概ね一致する時期ですが、このニュースは我が国ではなんらセンセーショナルに取り扱われることもなく、いたって静かな無関心に近いものでした。太陽系の惑星とはあまりに異なる姿に信頼性を疑う人も少なくなかったこともあるでしょうが、一部の研究者の間で「こんな惑星が星の周りに見つかったというが本当だろうか」「いや何かの間違いではないか」という会話が交わされる程度でした。ともあれHIDESが旗印として掲げる科学目的には系外惑星科学は入っていませんでしたが、結果的にはこのHIDESの性能はまさにこの精密視線速度観測にうってつけのものだったのです。それには温度の安定性の達成やクーデ焦点周りの改良と遠隔操作の実現など観測所の技術職員の皆さんの貢献するところが特に大きかった。また波長の基準のために用いるヨードセルというガスフィルターは比較的安価に作成できる装置であること、解析手法の基本的枠組はリック天文台のグループによってすでに確立されて公開されていたこと、も幸いしたといえましょう。ターゲットとして見かけ上明るいものが大変多い巨星を選択したこともまさに正解でした。そしてHIDESのファーストライトからたった数年でG型巨星周りにアジア初の系外惑星発見に至ったのですが、HIDESの構想時には誰も考えてもいなかった科学的成果でした。「天の時、地の利、人の和」とよく申しますが、天地人の三者が相俟って時の宜しきを得てこそ生み出されたのではないでしょうか。

それにしても昔日の様子を知る身としては、今日の技術の進歩による観測形態のあまりの変貌ぶりにはただ驚くばかりです。写真乾板のWet Astronomyから電子的検出器のDry Astronomyへの転換は観測者に福音をもたらしました。往時の観測は肉体的な負担が大きくかつガラス切りにおける手先の器用さや微妙な星の色を見分ける判断力など個人の能力に依存する点もありましたが、今は誰でも楽に観測できて質・量ともに遙かに上回るデータが得られるようになったのは本当にありがたいことです。また天体導入についてもそうです。昔は制御盤の目盛りで大体の方向に向けてからおもむろに望遠鏡にかじりついてファインディングチャートを手に案内望遠鏡を覗きながら行う結構な仕事でしたが、数年前に188cm鏡の制御系の改修がなされて天体導入の精度と効率が著しく改善されたときにはその余りの速さと正確さに驚き、オリンピックの体操競技の中継などでアナウンサーが用いる「ナイフの突き刺さるがごとき着地」という表現を思い起こしました。今後は半自動的な観測遂行システムも検討されているそうですから更なる発展が期待されましょう。

ただ、この「楽に速く多く」があまりに行き過ぎて、機械任せで観測に人間が介在しなくなることには少々懸念を感じます。対象となる天体への礼儀というか、それと真剣に対峙することでこそ魂がこもった研究が出来るという側面もあるのではないでしょうか。また辛くとも心を込めて取り組んだ体験によって成し遂げたことは記憶にしみこんで消えません。昔の分光観測は暗闇のクーデ室でひたすら星を見て精神集中して長時間ガイドとトレールを行っており、終わったときは疲労感に苛まれたものです。また観測が終わった後の暗室内での乾板の現像も枚数が多いとなかなか大変でした。ただ今になってことさら懐かしく思い出すのは、この単調で辛かった初期の頃の観測とデータ解析のことです。あの眠かったこと、洗ってもなかなか指から消えない独特の定着液の匂い、大きな机に巻紙を広げて鉛筆と定規でこつこつ行ったスペクトル線の測定、...。もちろん今に比べれば効率的にはずっと劣っていたのですが、当時の経験は私にとって貴重な無形の宝として身についているように思います。

私が最初に岡山に観測に来てから既に四十年も経ちました。眼下に広がる穏やかな瀬戸内海の眺望や背後の緑の山々の美しくのどかな景色は昔も今も変わりませんが、上述のようなこの年月の間の大きな変化と無常に思いをいたすと色んな感情が去来します。本当に色んなことがありました。ただはっきり言えることはこの岡山観測所は私を育ててくれました。実際これまでの研究の多くはここで観測したデータに基づいています。またこの地での観測を機にして多くの人々と直接間接のご縁をいただき、すでに鬼籍に入られた方々もおられますが、これら数々の先生・先輩方並びに共同研究者の皆さんの教えや助けを受け鞭撻されたからこそ成長できたのだと思います。この意味では感謝の念しかありません。私も老兵として消え去る年回りにさしかかりましたが、時ここに至り長年お世話になった国立天文台岡山天体物理観測所が幕を下ろすのは何か運命的なものを感じます。ともあれこれからは刷新された組織による新たな時代が始まります。京大の3.8m新技術望遠鏡と大学が維持する老練の188cm望遠鏡が強力なタッグを組むことでこの地が我が国の光赤外天文学のメッカであり続けることは間違いないでしょう。今後の岡山の一層の発展を祈念して筆を置きます。